玄関設計の常識を疑う:ただの出入口にしない「最小限」から生まれる空間の思想
玄関とは、外の喧騒と内の静寂を調停するための最も重要なインターフェース(境界)のことです。単に靴を脱ぎ履きし、鍵を置いて通り過ぎるためだけの「通路」ではありません。しかし、多くの住まいにおいて、玄関は機能性という名のもとに、最も思考停止に陥りやすい場所でもあります。 記憶の中の土間と、現代の「1坪の玄関」への違和感 幼い頃、香川の設計事務所で図面を描く父の背中を見て育った私にとって、古い民家が持つ「土間」の存在は、原風景として深く刻まれています。そこは、外でもなく内でもない、非常に曖昧で、それゆえに豊かな可能性を秘めた場所でした。近所の人がふらりと立ち寄り、腰を掛けて言葉を交わす。光と影がゆるやかに混ざり合う、大らかな空気感がありました。 その後、東京に出てプランテック総合計画事務所に勤務し、ソニーシティや難波高島屋といった巨大なプロジェクトの一員として設計に携わる中で、私は「境界のあり方」について論理的に思考する重要性を徹底的に叩き込まれました。都市スケールであっても、1棟の 住宅設計 であっても、外から内へとアプローチする際の「シークエンス(空間の連続性)」のデザインこそが、その建築のすべてを決定づけます。 しかし、現代の一般的なハウスメーカーの図面を見ると、玄関は「1坪(約2畳)の四角いスペースに、既製品の玄関収納と120cm幅の框(かまち)を置く」という定型的なパターンに押し込められています。この「ただの出入口」になってしまった玄関に、私は強い違和感を抱いてきました。不必要な要素を徹底的に削ぎ落とし、本質的な豊かさを取り戻すためには、まず私たちの頭の中にある「玄関の常識」を疑うことから始めなければなりません。 【逆説】「広く、明るく、収納豊富」という常識を疑うべき理由 家づくりにおいて「玄関は明るく広く、収納は多ければ多いほど良い」と信じ込まれています。しかし、私たちはその真逆のアプローチをとることがよくあります。なぜなら、その常識に従うことこそが、かえって空間を狭く、ノイズに満ちたものにしてしまうからです。 明るすぎる玄関は、人間の視覚特性上、その奥にあるリビングへの期待感を奪ってしまいます。あえて玄関を「薄暗い光の溜まり」として設計することで、奥に広がるLDKの明るさと広がりが劇的に強調されるのです。また、大容量のシュークロー...









